インタビュー


インタビュー : フローリスト赤キ屋 代表取締役社長 石井康隆 2018/07/oo


“赤キ屋の始まりは?”


昭和8年、スーパー(萬屋)の一角で花を売り始めたのが「赤キ屋」のきっかけ。田園調布の同じ町内ではありますが、今とは別な場所に「赤キ屋」がありました。戦後、現在の場所に移り「フローリスト赤キ屋」を立ち上げ、私で3代目になりますね。家族経営でここまでやって来たからこそ、先代には商人としての心構えを、しっかりと教えてもらいましたね。

大学では商学部の経営工学を専攻していて、いわゆる、経営をシステマチックに分析することを学びました。卒論では、日本企業の東証一部から80社抜粋し、最適化した会社はこういう数値になるという指数分析を行いました。元々、数学や分析することが好きで…仕組みを知ったり、組み立てたり。
いずれは花屋を継ぐことになるだろうと思いつつ、大学卒業後は、色々な会社や業種をみることができる証券会社に入りました。入社してすぐ石川県に配属されて、石川県は、昔ながらの文化があり、ご飯も美味しく、環境もいい、近くにはスキー場もあり、冬は起きて30分後には雪山で滑っていました。笑本当に綺麗な街で仕事も楽しく。毎日が充実していましたね。
そんな中、年に1、2回は田園調布の実家に帰省するじゃないですか。そうすると、店を断続的に見ていて、どんどんオーラがなくなっていくのを感じたんですよ。
そろそろかなぁ..と思っていたところ、父親から手紙が届いて。
大阪で国際花と緑の博覧会(通称:花博)があるから、短期で働いてみないか?と、そこで、2年働いた会社を辞めて、イチから花を学ぶために大阪の花万博で7ヶ月間、働きました。


せっかく入った会社を2年で辞めたんですか!名残惜しさはなかったですか?


それが、全くなかったんですよ。
それよりも、「お店をどうにかしたい」という思いの方が強かったのかもしれませんね。

“今の赤キ屋の土台を作った「花博」との出会い。”


国際花と緑の博覧会は、1990年に183日間、大阪の鶴見緑地で行われた国際博覧会。
通称「花博」「花の万博」「EXPO’90」と呼ばれて日本を含む83カ国が参加した花の世界的博覧会です。私が担当したブースは、日本全国から有名な花屋さんが週替わりで花のディスプレイを作るブースでした。日本屈指の花の技術を間近で見ながら、24時間体制で学べる機会なんて中々ありませんからね、本当に貴重な経験をさせてもらいました。
花博には、アトリウム空間たくさんあって、全面ガラス張りの大きい建物があり、大量の光が室内に差し込み神秘的に輝いていました。それを初めて見た時に、これはぜひ赤キ屋で再現したいと思いましたね。
「光」と「風」を最大限に活かした店舗を作りたいなと。
できるだけ店内に光と風を取り込めるように、空間を最大限活かせないかと考えました。

当時の赤キ屋の店舗は、入り口側から見ると、天気の良い日でも店内が真っ暗で…その暗さが、お客様的にはお店に入りたくても抵抗を感じているのではないかと思って…。もちろん、花にも良くないですし。

そこで、赤キ屋を継いで、一番初めに取り組んだのが『空間改善』でした。
メンバーに聞いてもらうとわかると思いますが、石井社長の強みといえば「大工」と「分析」と口を揃えて言われます。笑

アレンジメントの速さ!とかでは、ないのですね。笑


花の技術的なところは、凄腕の頼りになるデザイナー(スタッフ)が揃っているので信頼しています。私がやるべき役割は「店舗づくり」だと思っています。大学も証券時代もそうでしたが、分析と数値化は得意だったので。笑
だからこそ、まずは『空間改善』に取り組みました。


『空間改善』とは具体的にどんなことをされたのですか?


まずは、自作でジオラマを作りました。笑
よく他の店舗で見かけますが、花を壁に沿って配置すると、どうしても真ん中が通り道になるので暗くなります。奥に行けば行くほど暗くなりますし…それって花にも良くないんですね。そこで光を多く取り込めるよう、正面入ってすぐに吹き抜けを作り、中心に花を置いて光が当たるようにしました。次に、入り口を二手に分けることで、店内に左右から光が入り、明るくすることができます。あとは「風」。入り口とは反対側に特注サイズのガラス窓をつけて、風通りが良くなるようにしました。


なるほど。確かに店舗のどこに立っても明るいですし、風通りも良いですね。
入り口から奥まで開けて見えるので、お客様も入りやすいですね。


ジオラマからこだわって作りましたからね。笑


実際に継ぐことになって、ギャップはありましたか?


高校時代から花屋の手伝いはしていたので、ギャップはなかったですね。花屋の大変さや、水揚げや鉢植え作業など厳しい作業も知っていましたから。自分の強みを活かした取り組みもできて、逆に楽しくやり甲斐を感じました。

“私自身がスタイリッシュじゃないので、 「スタイリッシュにしろよ!」とは言えないんですよね。笑”


今までを振り返って、赤キ屋の良さって何だろう?と考えてみたら、「アットホームさ」ですね。赤キ屋のお客様は、地元のお客様が多く、3世代に渡って、ご贔屓にしていただいているお客様もいらっしゃいます。ただ、昔は「花が欲しいときは花屋に行って買ってくる」というのが当たり前でしたが、時代の変化もあり、インターネットを使ってネットショップで注文して花を買う人が増えています。赤キ屋に来店されるお客様も40代以上の方が多く、年齢層の拡大は課題ですね。


20代である私の個人的な意見ですが、確かにプレゼントのメインを「花」にするという発想が生まれないかもしれませんね…


そうなんですよ。その影響もあって、花屋も若者向けによりスタイリッシュなお店づくりを目指す店舗も多いですしね。ただ赤キ屋は、同じ方向で競争するのではなく、「アットホームさ」を追求しながら「田園調布ブランド」育てていきたいと思っています。一見、相反する二つですが、田園調布ブランドを掲げた「技術」とアットホームな「店舗」や「人柄」に良い意味でギャップがあっていいのかなと。確かに難しいですが、難しくないんですよ。それを実現できる、愉快で個性的なデザイナー(スタッフ)が赤キ屋には揃っていますから。例えば、お客様に苗字ではなく下の名前に「ちゃん」付けで呼ばれているデザイナー(スタッフ)がいるんですよ。笑 


それは珍しいですね!


来店して、希望のデザイナー(スタッフ)が不在だと「また、いるときに来ますね」と後日、再来店するお客様もいます。プレゼントやお土産をくださったり。なかなか、いないと思うんです。花屋でファンを作れるデザイナー(スタッフ)って。ある意味、花屋も美容室と一緒で、一度決めるとなかなか変えられない場所というか。花のことはもちろんですが、色々なお話ができる場所、そういうお店を目指していますね。技術は“バリバリ”で、お店は“ホカホカ”みたいにね。笑


“バリバリ”と“ホカホカ”ですか。死語ですね。笑


(「赤キ屋で働くひと」のリンク)


“創業90年に向けて地元住民と一緒に、 「田園調布ブランド」を育てていきたい。”


田園調布の魅力はどういうところですか?


私は生まれも育ちも田園調布なので、当たり前になりがちではありますが、田園調布は緑が多く、散歩コースがたくさんありますね。穏やかな雰囲気と自然が心地よくて、目的なく歩いているだけで気持ちが良いと思います。行き交う人や自動車も多くないので、カフェのテラス席で、のんびりランチを楽しめますし、こだわりの隠れスイーツ店なども多くあります。あとは、地元に住む人たち自身が“田園調布を大切にしている“ところですね。皆が、田園調布という街が好きで、大事にしている。だからこそ、赤キ屋としてもまずは創業90周年に向けて、「田園調布ブランド」を守り、育てながら地元の方々と盛り上げていきたいと思っています。


創業90周年に向けて、何か考えていることはありますか?


そうですね。100周年に向けての前哨戦となる「90周年」なので色々と考えてはいますが、まずは新商品を開発して、通販サイトをOPENしようと思っています。例えば、今まで生花は配達のみでしたが、一部商品については郵送販売をスタートさせる予定です。花の魅力を知ってもらえる様な、イベントも開催したいですね。花といえば、青山や表参道というイメージが強い方も多いですが、花といえば「田園調布」となる様にブランディングしていきたいと思っています。